« April 2007 | メイン | June 2007 »

May 2007

May 22, 2007

【ガリ☆ニュース】ゲーム機で語彙力4割アップ

<英単語学習>ゲーム機で語彙力4割アップ 京都・八幡

また新しい時代が始まった兆しを感じるニュースが。

かつてゲーム機は勉強の敵だった。しかし今や学校が国の援助を受けてゲーム機を購入し、授業に役立てているという。実際に4割も成績アップしたというわけで、これは学生にとっても教師にとっても大変な事である。こうなってくると、ゲーム機で勉強するなんて、なんという主客転倒、いやぁこれは現代らしいパラドックスですな〜などと悠長に構えているわけにはいかない。この記事は任天堂の計画が大成功しつつある事の現れである。そう考えて良いのではないか。

いまやDSは『(ゲームも出来る)優れたソフトウェア再生インタラクティブプラットフォーム』であり、ゲームソフトはそのポテンシャルの一部を使用しているに過ぎない。少なくとも任天堂はDSをそう位置づけて計画してきたとわたくしは考えている。たとえば今すでに、あの大ヒットした脳を鍛えるシリーズから、料理ソフト、旅の外国語ソフト、般若心経練習ソフト、読めない字を引ける漢字辞典、果ては自動車教習所試験用の学習ソフトまで出ており、今後は地球の歩き方のような内容の音声解説付き旅行ソフトも出ると聞く。これらはすべて、本屋の実用書コーナーに置かれてきた本のタイトルと似通っており、ゲームとは関係ないモノも多い。では任天堂はDSで何を目指しているのか。そしてその理由は。

ふぅ。葉巻で一服。そして猫を抱きつつよく冷えたパイパーエドシックを一杯。ウマウマ。ちなみにパイパーエドシックはカンヌ国際映画祭公式シャンパンである。またちなみに、うちに猫はいない。

Images

さて、当初新しいゲーム機として登場したDSは、人々がそれと気づかぬ間に「電子的な書籍ビュワー」としての地位を易々と確立していった。それはこれまでのシャープの電子手帳達や実験的なソニーの電子ブック達が、デファクトスタンダードとしての書籍ビュワープラットフォームの夢を見つつもチャネルも作れず市場も作れず入り口にも入れぬまま討ち死にしていった前人未踏のジャンルなのだ。すなわち既に世界で売れているDSは、世界で一番売れている電子本インタラクティブビュワー(ゲーム機能付き)なのだ。しかもゲーム的に楽しむ要素の追加は朝飯前である。こうなると、DSのターゲットはこれまでの「ゲーマー」だけではなく、趣味や年代を超えて果てしなく広がっていくことは間違いない。広がっていく?そんな生半可なものではない。DSの最終ターゲットは、知識を吸収し知的活動を行おうとしている人類全体であり、そう最初からマーケティングされた中で産み落とされた巨大商品なのだ。PSPとは出発点もターゲットも違うのだ。だからDSは、いつまでたっても品不足なのだ。

こう考えると、この新聞記事のタイトル「ゲーム機で語彙力4割アップ」は間違いであることがわかる。正しくは「DSで語彙力…」である。ここまで言っても「DSはゲーム機だよ」と言い張る人に証拠をお見せしよう。任天堂ゲームボーイの長い歴史から進化して誕生したDSの正式な商品名は「ニンテンドーDS」であり、任天堂の自らの手によって「ゲーム」という文字は全て取り払われているのだ。ちなみにDSとはダブルスクリーンの略である。

嗚呼、DSにキーボードがついて文字が入力できればなぁ。もっとブログも書けるのに。というかウチにDSは2つあるのだがどちらもわたくしのものではない。

【人気blogランキング - 今日の順位は?】

[blog] 
wrote by galliano : 01:34 AM

May 05, 2007

『バベル』を観る。

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品、『バベル』を観る。

『バベル』オフィシャルホームページ

現代の世界を155分のフィルムという形式で比喩的に記述しようという壮大な計画にほぼ成功した、大きな存在感を持つ映画。ディスコミニュケーションに満ちあふれた世界の中に垣間見える「思いやり」や「絆」を映画メッセージの核としており、未来世界への明るい展望を抱かせるような展開となっている。

ただしストーリー展開は、物語的というよりは寓話的であり、わたくしにとっては事件性が低いと言わざるを得なかった。映画の登場人物それぞれが持つべき『動機』が弱かったのだ。偶発的に発生する事件に『対処』しているばかり、のように思えたのだ。

それは時にストーリーを前に進めるパワーの欠如を生みだした。簡単に言うと時々退屈したって事なんですが。というわけで『バベル』は、それぞれの登場人物には強い共感を覚えるし、先が読めない緊張感はあるのだが、わたくしの望む『時間のサスペンス』としての映画力が少々足りなかった。

この映画は見てスカッともしないし興奮もしないし明るくなるわけでもない。ただ「私たちの住む世界の現在ってこんな感じにシンドイですね」と、つぶやくように、静かに佇んでいる映画である。絵画的であり、寓話的であり、主題の核は現代文学的でもある。

そして現代文学や寓話とは、現代が抱える病理に鈍感な人間にはとても退屈なものである。この映画に少し退屈を感じたわたくしは、どうやら現代の病理にはあまり頓着していないらしい。そういう結論に落ち着き、わたくしは自分に足りないモノになんとなく気づき、40年の人生に疑問を持ち、少々落ち込んだのであった。

【人気blogランキング - 今日の順位は?】

[blog] 
wrote by galliano : 02:27 AM | トラックバック