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May 26, 2013

ボーカロイド・オペラ「THE END」を勝手に理解した話








渋谷慶一郎さんと初音ミクが共演するボーカロイドオペラ「THE END」を観て来ました。話が相当難解で、よくわからないままどんどん進行して行くのですが、途中でハタと様々な事に気が付き、全体を理解できたという話を以下に書きます。とはいえコレも個人的で勝手な理解の道筋でしかなく、ホントにそうなのかは知りません。まぁ鑑賞した方々のひとつの精神的なガイドとして、ネタとして読んでいただければ幸いです。

▼鑑賞した後の僕のツイートです ▼「THE END」オフィシャルトレーラー

じゃ、本文を始めましょうかね。ちょっと長くなりますけれども。

というわけで「THE END」を観て来ました。初演は昨年の12月、山口県のYCAMですが、これは都合で行けず、今回が初めての鑑賞です。説明の詳細はオフィシャルページを見ていただきましょう。僕が観たのは24日金曜日の最終公演。席は1階の3列目ど真ん中!もう前すぎて大興奮でしたね!ヲノサトル氏を中心とする友人たちと行きまして、鑑賞直前にシャンパンを1杯飲んで盛り上がってました。

「THE END」オフィシャルページ

会場は渋谷オーチャードホール。入口にはTHE END特製レクサスの展示が。中に入るとミクの等身大フィギュアがあり、ニュースの通りルイ・ヴィトンのダミエ模様の衣装を纏っていました。劇場内は満席でしたね!休憩無しの一幕という事で、休憩時間にシャンパンをもう一杯とは行けなかったのが残念でした。

▼ヴィトン+ミクの等身大フィギュア
Miku

そして始まった公演。これがもう圧倒的なわけです。渋谷慶一郎さんの音楽は以前SONARなどでも体験済みなのですが、実にオリジナルで独特。渋谷さんの装飾を配した精神性の高い音楽が好きなんですね。無駄なく研ぎ澄まされたというか。ザラツイたシンセストリングスも好きです。

今回の音響的にも、空から降ってくるようなノイズと強烈なビートが心地よく、ここはクラブか?と思ったら突然メランコリックなピアノ曲が聞こえて来るなど、観客の感情を上下左右に揺さぶります。もうこれは耳とボディのマッサージ。さらに僕は渋谷さんをヒットメロディーメーカーだとも思っており、「THE END」でもいくつもの曲が強烈に頭にインストールされました。

▼サクリファイスのメロディもステキです。

YKBX氏の映像についても、その広がるイマジネーションは素晴らしいものでした。8つのプロジェクタを縦横無尽に活用し、映像の解像度も高く、非常に美しくダークな映像が展開されてましたね。これら音楽と映像は上のYoutubeの映像で一端を知る事ができます。

しかしですよ、上記のような圧倒的情報量が次々と送り込まれる中で、ストーリーだけがさっぱり頭のなかに入ってこないんです。見てるうちに判るかなぁと思っていましたが、全くそうならない。3列目で字幕がほとんど読めなかったのも原因かも知れませんが、ただひたすら、ミクが死ぬ、そして『死ぬって何?』『会いたかった』などのメッセージが繰り返されます。何かが救われない強烈な断絶感だけは感じるんですが、何故そうなってるのかについて想像が至らない。伏線も見当たらない。

誰もが知ってる通り、ミクは生きておらず、実在もせず、ボーカロイドとしてモニタの中でしか活動できない存在です。だから、そのミクが死ぬ、という事にあまり意味は感じられない。そりゃスイッチ切れば死ぬよなぁ、ぐらいの意味しか受け取れない。そうなってくると、このオペラのストーリーにも意味が感じられなくなってくる。壮大な音楽や映像の仕掛けも、シュールで意味が無いものに思えてくる。これはもう狂気のクリエーションじゃないか。いやぁ凄いですね凄い凄い。情報量凄くて音もでかい。全然意味わかんないけど最新テクノロジー万歳!ボカロ最高っ!そう片付けるのは簡単だけど、それではどうにも面白くない。僕の場合、何を見ても『良かった』だけじゃあ物足りないんです。

しかも泣いた人がいるって言うじゃないですか。まぁ壮麗かつ精緻な巨大制作物はそれだけで泣くに値する事もあります。僕も昔ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院を訪問してその空間に圧倒されて涙を流しました。人間の凄まじい創造力に圧倒されて泣く事ってあります。嗚呼、クリエーター万歳!…しかしそれだけでは、面白さがまだ足りない。泣いた方は蜷川実花さんなんですけど、理由もいまひとつ判らない。

▼蜷川実花さんのツイート

泣くほど感動するには何かある。そりゃ凄いクリエーションだってことは全身でビンビン感じますが、その向こう側に何かあるはずだ。凄いだけじゃ嫌だ。もっと判りたい!!!と、僕は劇場の中でひとりひたすら悶々としていたわけです。

ということで、押し寄せる映像と音響の海の中で思考を開始しました。

まず考えないといけないのは、何が判らないのか?という事です。心をざわめかせるセリフ類が次々と繰り出されます。その例としては、『判らない すごく大きな音』『今日は何か特別な日なの?』『なにそれ? 安心するって ヘンじゃない?』『わたしとか、いないほうがいいだろうから』『ねぇ、わたしはほんとうに、いつか死ぬの?』『やめにしていいよ、きっと意味がないから』『終わりはいくつある?』。こんなセリフと、これに近い言葉が様々なバリエーションでミクの口から出てきますが、まぁ何の事を言ってるのかが判りません。

生きてない存在が死ぬ死ぬと語り続ける意味が判らないという事は前述しましたが、しかしこのミクからは、終わるという事への強い執着を感じました。終わりたいけど終わりたくない、というような葛藤も感じます。でもなんだろうこの葛藤は。うーん、判らない。

またウサギのようなペットのような生物も、それが誰かも判らない。彼?あるいは彼女?はロボットのような甲高い声で話します。『おぼえてる? ミク もともとわたしたちが合わさってたとき そのときあなたは人間に近くて そのときのこと 思い出さない?』なんて事も言ってますが、一切抑揚はなく、これも何の事を言ってるのか全く理解できません。

さらには、唇だけの存在になったミクもいます。巨大な目に囲まれるシュールな映像も頻出します。またミクの体の中、内臓に入る映像も出て来ましたが、これも意味が判らない。しかし妙な体温は伝わってくる。ミクがひたすら3次元的に浮遊する意味も、気持ちよさ以上の意味は伝わって来ない。さらにはドラゴンのような異形の獣への変身の意味も判らない。そして、時々出てくるリビングのような部屋の意味も判らない。判らない事だらけ。これはまいった。

では、どう考えれば判るか?きっとどこかに根本的なヒントがあるはず。ここで僕が読み解く鍵として捉えたのは、これはコンサートではなく、オペラである、という事でした。

さてオペラとは何か?これは大きな問いだと思いますが、僕もこれまでオペラの公演を20回ぐらいは見てるのでなんとなく判ってます。まずストーリーはシンプルで悲劇的モノが多く、それもだいたい純粋な愛の話が多い。そこで歌われるアリアは、切ない恋心、愛のために死んでも良いぐらいの気持ちを歌ってる事も多い。トスカの『愛に生き、歌に生き』とかいい曲ですね。

加えて、オペラはクラシックであり、伝統的なものです。基本的な形式があり、それに則った形で現在に生きています。しかし芸術としては瀕死の状態で、いまや現代的な衣装や舞台装置など、アートディレクションを中心としたモダニズムの流入により生きながらえている存在でしょう。どれぐらい瀕死かといって、新しいオペラがほとんど生まれない現状がそれを示していると思います。しかし今回の「THE END」はボーカロイドオペラと銘打ってます。よって、伝統的なライン上にあるクラシックな存在だと考えてみることにしました。

さて、「THE END」をオペラとしてとらえ直してみる。それだけではストーリーは見えて来てませんが、きっとシンプルなはずです。そしてオペラは愛の悲劇が多い事から、ひとつの仮説を立ててみます。

仮説1:『ミクは切ない恋心、愛の歌を歌っている』 すなわち、ミクの言う『死ぬ』は、誰かへの愛の気持ちが終わるという意味である。

次に、ミクは命を持っていない存在であり、生きてはいないのに、死ぬ死ぬと繰り返し言ってます。ここから次の仮説をたててみます。

仮説2:『ミクとは恋愛感情そのものである』 感情は生きていないが、内臓のような暖かさを持つ、そして死ぬこともある。また感情は人間ではないが、いちばん人間的な作用である。感情は精神世界の中だけに存在し、重力から解き放たれ、常に浮遊している。

む、『THE END』のミクっぽいぞ!では思考を続けましょう。

時々現れる気持ち悪い生き物は、純粋な愛情の気持ちを脅かす感情の劣化コピーである。純粋な美しい感情でも、繰り返し執着していると、それ自体が気持ち悪く思える事もあります。強く愛情を感じ続ける行為はもしかしてモンスター的な事かもしれず、邪悪に見えるキャラクターはそういうものではないか。また感情は時に変形し、異形のモノに変わり、疾走する事がある。消えては生まれる他の感情達にも押しつぶされそうになる。そんな精神環境の中で、今回のミクは揺れ動いているのではないか。

では、リビングルームとは何か? これは誰かの心象風景だろうか。しかしきっと誰もいない部屋、という事に意味がある。もしかすると、愛の不在の象徴ではないか。むむ、だんだんわかってきた!ような気がします。

とすると、今回の初音ミクの存在理由も見えてきます。このオペラは人間の感情世界を描いた抽象的ストーリーであることから、演ずるのは生身の人間ではなくミクがふさわしい。また様々なキャラクターが登場するが、それはすべて『自我』である。主人公は劇中に示されないだけで、このオペラの外部に存在している誰かである。

そして今回のオペラは、テクノロジーというモダニズムを流入させてはいても、あくまでクラシック。登場するのは、終わってしまった愛の哀しさや喪失感について歌い上げる、感情の歌姫としてのミク。とすると今回の公演は『最新の音楽と映像で作られた、悲劇的で切ない愛のストーリー』ではないか。いやぁ実にオペラですね。また人間中心主義的世界の象徴のオペラを、人間不在という特異な形で描いて反転させ、その結果、終わらない人間の美しく哀しい営みを描いている。人間賛歌、これも、まさしくオペラである事の証明である…うん、しっくり来るぞ。

ということで、オペラとして考えるべきだというツイートも出てきてます。

上記のようにとらえると、ストーリーがすんなりと頭に入ってきます。終わってしまった愛への残留感情がミクという存在ならば、それはつらい葛藤を超えてでも、早く消える(死ぬ)方が良い。なぜなら、終わった愛への感情が死ぬ事によって、新しい愛の世界が開かれるから。終わることは良いことであり、終わりは始まりである。そして新しい愛の始まりの予感だけが、旧い愛への感情を死なせる事ができる。『終わりはいくつある?』という言葉が出て来ますが、終わり方(愛の始まり方)はたくさんある方が、そりゃ良いですよね。さらに言うと、途中のセリフ『ホワイトアウトはエフェクトじゃない』は言い換えれば『ホワイトアウトは、始まりの序曲』かも知れない。とすると、オペラ全体で描かれたのは、愛の終焉によって魂が昇華される感動のストーリーではないか。

というわけで、望まれるべきものとしてのTHE END(終焉)こそが、ここで描かれている主体であり、オペラ『THE END』は魂の救済装置、悲劇を乗り越える新しい愛の始まりに向けたストーリーではないか。そう考えると、これは泣くに値する普遍的な物語だと思うわけです。

またこれは、まさしく新しいオペラの誕生であるとも思いました。壮大で革新的な手法で作られた伝統的クラシックは、フランス公演でも理解者を生むに違いない。そして何よりも、新しいクラシックオペラが日本から生まれた事に感動します。終焉最高!『THE END』最高!

と、ここまで考えが進んだ所で、ミクは赤い涙を流していました。僕の考えに則れば、これは旧いミクが死に、そして新しいミクが生まれる喜びの瞬間です…。やがて舞台の半透明スクリーン右下に小さくTHE ENDの文字が出て来ました。公演の終了です。拍手の後、僕は『ブラーヴォ!』とほんとに叫んじゃったのですが、それはここまで説明したような思考の展開があったからこそ、確信を持って叫べたわけです。それも何度も。

以上が『全体を理解できた』という話なのですが、もちろんこれは個人的な理解の勝手な道筋でしかなく、ホントにそうなのかは知りません。そもそも90%ぐらい字幕読めてないし、気づいてないことも多いだろうし、そもそも初見だし、作り手の考えとは全然違うかもね〜です。何か物語のヒントが無いか?とパンフも買いましたが、技術的な事はともかく、ストーリーについて脚本家の岡田利規氏は何も語ってません。というわけで、僕は鑑賞者の特権として勝手な曲解を楽しんでいるだけですが、壮大かつ精緻でダイナミックで革命的なオペラが日本から誕生した事だけは間違いのない事実だと思うわけです。

11月にパリで再演するそうですが、ぜひ反応を知りたいなぁ。パリ公演の成功をお祈りしています。『THE END』最高!

追記:渋谷さんにツイートいただきました。男性的な解釈だそうです!ちと型ハメマッチョ思考だったかなw

▼『THE END』でも印象的に使われた渋谷 慶一郎+東 浩紀 feat. 初音ミク『イニシエーション』映像も『THE ENDの』YKBX氏。

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 wrote by galliano




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